アレクサンダー・ウスティノフ(ロシア語: Александр УстиновAlexander Ustinov、1976年12月7日 - )は、ロシアのプロボクサー、元キックボクサー、総合格闘家。ノヴォシビルスク州ノヴォシビルスク出身。元チヌックジム所属、現在はK2プロモーション所属。アレクサンドル・ウスティノフとも表記される。

概要

Russian Big Bear(ロシアン・ビッグ・ベアー)」の異名通りの2m近い巨体と、フィジカルを活かしたファイトスタイルで、キックボクシング、ムエタイのマイナータイトルを獲得した。

2008年からビタリ・クリチコやウラジミール・クリチコらが所属するK2プロモーションと契約し本格的にボクシングへ転向。2017年11月25日にマヌエル・チャーとWBA世界ヘビー級王座決定戦を行った。

来歴

キックボクシング時代

2002年5月4日、K-1 UKRAINE GRAND PRIX 2002で行われた地区予選に出場、1回戦でジャロスラフ・ザボロトニーに判定勝ちするも、準決勝でアンドレイ・キルサノフに判定負けを喫した。

2003年5月28日、K-1 MOSCOW GRAND PRIX 2003で行われた地区予選に出場、決勝まで勝ち進みアンドレイ・キルサノフにKO勝ち。

2003年6月14日、K-1 WORLD GP 2003 in PARISで行われたヨーロッパ・ロシア地域予選に出場、1回戦でグレゴリー・トニーにKO勝ちするも、準決勝でアレクセイ・イグナショフに判定負けを喫した。

2003年12月20日、K-1 SPAIN 2003で行われた地区予選に出場、決勝まで勝ち進みピーター・マエストロビッチに判定勝ち。

2004年5月29日、Mugendo World Grand Prixに出場。1回戦でモハメッド・フォウチにKO勝ちするも、準決勝でロイド・ヴァン・ダムに判定負けを喫した。

2004年8月7日、K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGASで行われた世界最終予選に出場し、1回戦でヤン・ノルキヤに判定勝ちするも、左スネを負傷して準決勝を棄権した。

2005年4月16日、K-1 Italy 2005 Oktagonで行われた地区予選に出場し、1回戦でビヨン・ブレギーにTKO勝ち、準決勝でグレゴリー・トニーに判定勝ち、決勝でフレディ・ケマイヨに判定勝ち。

2005年4月20日、Arbat Fight Clubでエドゥアルド・ボズノビッチに判定負け。

2006年1月20日、K-1 France Grand Prix 2006 in Marseillesで行われた地区予選に出場し、1回戦でアレクサンダー・ノボビッチに判定勝ち、準決勝でクリストファー・キャロンにTKO勝ち、決勝でブリース・ギドンにKO勝ちを収めた。

2006年2月17日、K-1 SLOVAKIA GRAND PRIX 2006でビヨン・ブレギーと対戦し、ブレギーの金的により無効試合となった。

2007年11月30日、Battle of Championsでジャビット・バイラミと対戦し、判定勝ち。この試合がキックボクシングで最後の試合となった。

ボクシング時代

2005年5月13日、28歳の時にベラルーシでボクシングデビューを果たし、2回TKO勝利を収める。

デビューから27連勝を収める。

2012年9月29日、ドイツでクブラト・プレフの持つEBU欧州ヘビー級王座並びにIBFインターナショナルヘビー級王座を懸け対戦し、ボクシング初黒星となる11回KO負けを喫しEBU王座の獲得、IBFインターナショナル王座の獲得に失敗した。

2013年11月16日、ニュージーランドでデビッド・トゥアと対戦、12回3-0の大差判定勝ちを収める。トゥアは試合後に引退を発表した。

2014年7月26日、タイソン・フューリー対デレック・チゾラが決定し、チゾラのスパーリングパートナーとして招聘されていたが、試合8日前のスパーリング中にチゾラが左拳を骨折してしまい、代わりにウスティノフが緊急出場する事が試合4日前に決定した。しかし前日計量も終えて当日リングへ上がるだけとなっていたが、タイソンの叔父で元トレーナーのヒューイ・フューリーが急病で入院したことで、タイソンの精神面への影響を考慮してトレーナーのピーター・フューリーがタイソンを欠場させることを決定し、結局試合は中止されることとなった。

2016年1月8日、WBAがWBA世界ヘビー級暫定王者のルイス・オルティスと指名試合を行うよう指令を出した。

2016年8月3日、同年9月17日にリアム・スミス対サウル・アルバレスの前座でWBA世界ヘビー級暫定王者のルイス・オルティスと対戦し、指名試合を制しての王座獲得を目指す予定だったが、オルティスがより高額のファイトマネーを要求して契約を破棄したことで試合が中止となった。同日、WBAは最低入札価格を60万ドルとする入札を同月15日にWBA本部で行うと通達を出した。報酬の60%はオルティスに分配され、残りの40%がウスティノフに分配されるとのこと。

2016年8月11日、WBAは最新ランキングを発表し、ウスティノフをWBA世界ヘビー級3位にランクインした。

2016年8月15日、入札が行われウスティノフ擁するワールド・オブ・ボクシングが最低入札額60万ドルで興行権を落札した。ファイトマネーの分配は上述通りオルティスが60%に当たる36万ドル、ウスティノフが24万ドルとなった。試合開催地はアメリカかロシアでの開催に前進した。オルティス擁するゴールデンボーイ・プロモーションズは同年9月17日に行われるリアム・スミス対サウル・アルバレスの前座でオルティス対ウスティノフ戦を行う意向を示していたが、オルティスと共同プロモーターのデイド・プロモーションズから合意を得られなかった。

2016年9月5日、ワールド・オブ・ボクシングが契約の最終期限だった9月4日までにオルティスが試合契約書にサインをしなかったことを発表。ワールド・オブ・ボクシングは10月7日にロシアで試合を行う予定でいた。このため、ワールド・オブ・ボクシングはWBAにオルティスからタイトルを剥奪し、ウスティノフを王者として認定するか別の相手との王座決定戦を指令するよう話し合いを進める意向とのこと。

2016年11月1日、WBAは指名挑戦者のウスティノフとの対戦を拒否したルイス・オルティスからWBA世界ヘビー級暫定王座を剥奪した。

2017年1月5日、WBAはWBA世界ヘビー級4位のシャノン・ブリッグスとWBA世界ヘビー級5位のフェリス・オケンドに対し同月2日からWBA世界ヘビー級王座決定戦に関する対戦交渉を開始し、30日以内にWBA世界ヘビー級王座決定戦を行うことで合意するか合意できなければ入札を行うとの指令を出した。シャノン・ブリッグス対フェリス・オケンド戦の勝者はWBA世界ヘビー級3位のアレクサンダー・ウスティノフとの対戦義務を負うとのこと。

2017年10月28日、WBAは最新ランキングを発表し、ウスティノフをWBA世界ヘビー級2位にランクインした。

2017年11月25日、オーバーハウゼンのケーニッヒ・ピルスナー・アレーナでWBA世界ヘビー級4位のマヌエル・チャーとWBA世界ヘビー級王座決定戦を行い、12回0-3(111-115、111-116、112-115)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2017年11月30日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のチャー戦に敗れ正規王座獲得に失敗したウスティノフをWBA世界ヘビー級8位にランクインした。

人物・エピソード

  • 格闘技を始める以前はロシア内務省の特殊部隊「OMON」に所属していた過去を持つ。OMONの一員として実際に紛争地帯チェチェンへ赴き、コムソモリスク村の解放、グロズヌイへの攻撃、セルギー商工地区とポドリスクの救助作戦等を行った。
  • チェチェンでの武勲に対して、国家から「敢」勲章と「祖国に対する功績への」2等級のメダルを受け取る名誉を得るが、本人は「チェチェンでの戦闘で失った多くの仲間や戦争で失った友人のことを思うと、こんな賞は無ければ良いのです」と述べ、インタビュー等でもこの過去に触れられることをあまり好まない。
  • 24歳の時にベラルーシ人のVladimir Zadiranと出会いムエタイを始めたが、Zadiran以外のトレーナーはウスティノフを見て「彼には才能がない。モノにならない」といって相手をしなかったという。だが、ウスティノフは2年後にムエタイの世界タイトルを獲得することになる。
  • チヌックジム時代の同門で友人のアレクセイ・イグナショフと同じく芸術に興味があり、いつも海外に試合に行くとその国の有名な劇をトレーナーと共に見に行くという一面もある。
  • インタビューで化学薬品・ドーピングの摂取について質問され、「私が今までに行ったドーピングは牛乳とクリームだけです」と冗談を言った。
  • 2005年4月に行われたK-1イタリア予選を制したが、本戦への出場機会を得られなかった。ただし、この年は、スカンジナビア予選を制したビヨン・ブレギーやパリ予選大会を制したクリスチャン・ヌカヌカといった予選優勝者達もウスティノフ同様に本戦への出場機会を得られていない。
  • 2006年1月に行われたK-1フランス予選を制したが、ここでも本戦への出場機会を得られなかった。
  • キックボクサー時代にプロモーターと対立してK-1に出られなくなった苦い経験を踏まえて、ボクシング転向の際には慎重にプロモーターを選んだ。Arena Box PromotionのAhmet Onerから強引に契約を持ちかけられたが、それを拒否してK2プロモーションとの契約に至った。
  • 2006年1月20日から2007年4月14日までの間に、何と「15か月間で18試合」という連戦(K-1ルールの試合からわずか数週間後にボクシングルールの試合をしたこともあった)を戦い抜き、17勝無敗1無効試合という素晴らしい戦績を残した。
  • 2008年1月に、WBA次期挑戦者決定戦を控えていたセルゲイ・リャコビッチのスパーリング・パートナーをウスティノフが務めた際に、試合直前のスパーで流し、調整していたリャコビッチ相手とはいえ、優勢に進めたことがある。
  • 同じK2プロモーションと契約するビタリ・クリチコはウスティノフのボクサーとしての才能を高く評価しており「僕はウスティノフが将来ボクシング世界王者になると信じているよ」とまで発言している。

戦績

プロボクシング


プロキックボクシング

総合格闘技

獲得タイトル

ボクシング

  • ドイツインターナショナルヘビー級王座
  • EBA欧州ヘビー級王座
  • WBAインターナショナルヘビー級王座
  • IBOインターコンチネンタルヘビー級王座
  • WBAパンアフリカンヘビー級王座

キックボクシング

  • WFCA世界ヘビー級王者 '06
  • K-1地区予選フランス大会 '06 優勝
  • Fights at the Border IV 優勝
  • WFCA世界ヘビー級王者 '05
  • K-1地区予選イタリア大会 '05 優勝
  • K-1地区予選ポーランド大会 '04 優勝
  • K-1地区予選スペイン大会 '04 優勝
  • WKBF Golden Panther Cup ( 91kg) '03 優勝
  • K-1地区予選ロシア大会 '03 優勝

ムエタイ

  • IFMA世界スーパーヘビー級金メダル(2006年)
  • WKNヨーロッパムエタイ王者(2004年)
  • IAMTF世界アマチュアムエタイ王者(2003年)
  • IMTF世界ヘビー級王者(2003年)
  • IMTF欧州ヘビー級王者(2002年)
  • ベラルーシムエタイ王者(2002年)

脚注

関連項目

  • 男子ボクサー一覧
  • 男子キックボクサー一覧

外部リンク

  • アレクサンダー・ウスティノフの戦績 - BoxRec(英語)
  • アレクサンダー・ウスティノフの戦績 - SHERDOG(英語)
  • K-1 選手データ - ウェイバックマシン(2009年5月28日アーカイブ分)

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