董 守中(とう しゅちゅう、1273年 - 1333年)は、13世紀半ばにモンゴル帝国に仕えた漢人将軍の一人。字は子平。
概要
董守中の曽祖父董俊、祖父董文忠、父董士珍は代々武人としてモンゴル帝国に仕えてきた、漢人の名家であった。董守中は当初太学に入って学び、ある時クビライに召し出されると応対が詳敏であったため、クビライの命を受けて仕えるようになったという。
22歳の時より内廷に仕えるようになり、尚服院を経て懐慶路判官・河南行省理問・典瑞丞・僉典瑞院事・集賢侍読学士・浙東廉訪使・湖南湖広参知政事・漢中湖南湖北廉訪使・正奉大夫を歴任した。1333年(至順4年)6月、61歳にして自宅で亡くなった。
董守中は父母に孝を尽くし、宗族・郷党にも礼を尽くす、徳のある人物であったと伝えられる。
藁城董氏
脚注
参考文献
- 『掲文安公全集』巻12大元勅賜正奉大夫江南湖北道粛政廉訪使董公神道碑
- 『新元史』巻141列伝38董守中伝
- 植松正『元代江南政治社会史研究』汲古書院〈汲古叢書〉、1997年。ISBN 4762925101。国立国会図書館書誌ID:000002623928。
- 藤島建樹「元朝治下における漢人一族の歩み:藁城の董氏の場合」『大谷学報』第66巻第3号、大谷学会、1986年12月、13-25頁、CRID 1050282676637353088、ISSN 0287-6027。



