黎 世蘅(れい せいこう、1896年 – 1977年)は、中華民国・中華人民共和国の経済学者・教育者・官僚。字は子鶴。経済学者として活動した一方、中華民国臨時政府と南京国民政府(汪兆銘政権)において官僚をつとめたことがある。
事績
日本に留学し京都大学経済学部を卒業した。帰国後、1922年(民国11年)、国立北京大学経済系講師兼私立民国大学校長となる。1924年(民国13年)、教育部編審処編審員に任命された。1928年(民国17年)、国立北平大学法学院教授となる。1930年(民国19年)から1937年(民国26年)まで北平成達初級中学校長兼中法大学院教務主任をつとめた。なお、経済学者としての著書に、『論中国民数』などがある。
王克敏らが中華民国臨時政府を創立すると、黎世蘅もこれに参加した。1938年(民国27年)1月1日、黎は教育部次長(教育部総長:湯爾和)に任命されている。翌1939年(民国38年)1月9日、方宗鰲と入れ替わりで議政委員会秘書長(議政委員会委員長(兼):湯爾和)に改任された。
1940年(民国29年)3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)に臨時政府が合流し、華北政務委員会へ改組された。黎世蘅は南京に移り、中央政治委員会教育専門委員会主任委員に起用されている。後に再び北京に戻り、翌1941年(民国30年)11月1日、国立師範大学校長に就任した。
日本敗戦後における黎世蘅の動向は不詳だが、漢奸として逮捕・訴追された旨の情報は見当たらない。没年についてだけは、1977年とされている。享年82。
出典
参考文献
- 橋川時雄編『中国文化界人物総鑑』中華法令編印館、1940年。
- 大陸文化研究所編『現代支那人名辞典』泰山房、1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 外地・満支・海外篇 第十三版』帝国秘密探偵社、1940年。
- 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第三版』満蒙資料協会、1940年。
- 満蒙資料協会編『満華職員録 康徳九年・民国三十一年版』満蒙資料協会、1941年。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 胡陽東「地質調査与抗戦救国―抗戦初期謝家栄在湘桂地区的地質鉱山調査」清華大学校史館(原典:『科学文化評論』2023年第5期)




