1956年の西鉄ライオンズでは、1956年の西鉄ライオンズの動向をまとめる。
このシーズンの西鉄ライオンズは、三原脩監督の6年目のシーズンであり、2年ぶり2度目のリーグ優勝、球団創設初の日本一を果たしたシーズンである。
概要
この年より新たなスター・稲尾和久が登場。当初は全くの無名だったが、シーズンに入ると大活躍を見せ、21勝6敗・防御率1.06の好成績で「新人王」と「最優秀防御率」を獲得、中西太・豊田泰光と合わせて「西鉄黄金時代三羽ガラス」が誕生した。この年は前年優勝の南海ホークスに一時は7.5ゲーム差も引き離されたが、終盤で逆転、「奇跡」と呼ばれた。この「奇跡」はその後も1958年・1963年で再現する事になる。そしてこの年の日本シリーズではセ・リーグ覇者・水原茂監督率いる読売ジャイアンツを破って初の日本一、ここから「三原脩×水原茂 宿命の対決」が始まる。投手陣はエースの大津守や西鉄創設期以来の主力・川崎徳次が衰え始めたが、稲尾・河村英文・西村貞朗・島原幸雄などが彼らをカバーし、打撃陣も中西・豊田・高倉照幸・大下弘などがそれなりの成績を収め、特に中西は本塁打と打点の二冠でMVPを、豊田は首位打者をそれぞれ獲得した。
チーム成績
レギュラーシーズン
日本シリーズ
オールスターゲーム1956
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
出典




