千葉 七郎(ちば しちろう、1905年(明治38年)9月27日 - 1987年(昭和62年)12月9日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。

来歴

岩手県東磐井郡千厩町(現一関市)出身。1920年(大正9年)千厩町立千厩尋常高等小学校高等科を卒業した。卒業後は地元で職業を転々とした後、上京し、大日本麦酒株式会社に就職。政治運動に関わるようになる。

その後、帰郷し、千厩町役場書記を務めた。1927年(昭和2年)労働農民党に入党し、農民運動に加わる。1932年(昭和7年)衆議院総選挙に関わったことを理由に町職員を免職される。免職後は東京日日新聞と河北新報の嘱託記者となる。1933年(昭和8年)千厩町会議員に選出され3期在任した。また、千厩町産業組合専務理事、産業組合立東山病院専務理事、千厩町農業会長などを務めた。戦時中は千厩町の翼賛壮年団(翼壮)の副団長となるが、間もなく退団する。翼壮の幹部は戦後、公職追放されたが、短期間のためか公職追放を免れた。

戦後、日本社会党に入党し、同党東磐支部書記長、同党東磐支部長、同岩手県支部連合会副会長、同岩手県本部委員長、同岩手県連顧問などを務め、1947年(昭和22年)、岩手県議会議員に選出された。1951年(昭和26年)の県議選で落選。1955年(昭和30年)の県議選で復帰。県議を2期在任し、副議長も務めた。このほか、千厩農業協同組合長、東磐酪農協同組合長、岩手県農業会長、岩手県信用農業協同組合連合会理事などを務めた。

1958年(昭和33年)5月、第28回衆議院議員総選挙で岩手2区から日本社会党公認で出馬したが次点で落選。第29回総選挙でも落選後、1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙で初当選した。1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙で落選し、谷村貞治の死去に伴い岩手県選挙区で1968年(昭和43年)6月に実施された第7回参議院議員通常選挙補欠選挙にも出馬したが次点で落選した。1969年(昭和44年)12月の第32回総選挙で再選され、衆議院議員に通算2期在任した。この間、日本社会党本部たばこ対策特別委員長、同会計監査、同農林水産部会長、同米価闘争副本部長などを務めた。その後、1972年(昭和47年)の第33回、1976年(昭和51年)の第34回総選挙に出馬したが、いずれも落選した。

1987年(昭和62年)膵臓がんで死去した。

その他、岩手薪炭公社取締役などを務めた。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 『千葉七郎運動史 礎』千葉七郎さんの偉業を後世に伝える実行委員会、2005年。岩手県一関市立千厩図書館所蔵。非売品。
  • 岩手県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編著『岩手県姓氏家系歴史人物大辞典』角川書店、1998年。
  • 岩手県議会事務局編『岩手県議会史』第8巻、岩手県議会、2003年。
  • 『岩手年鑑』1952年版、新岩手社、1951年。
  • 『岩手年鑑』1956年版、新岩手社、1955年。
  • 『岩手の昭和史』Ⅴ、岩手放送、1986年。

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