アンドレイ・チミル(Andreï Tchmil、ウクライナ語表記:Андрій Чміль1963年1月22日 - )は、ロシア(旧ソビエト連邦)、ハバロフスク出身の元自転車競技(ロードレース)選手。現在はUCIプロチームチーム・カチューシャのゼネラルマネジャーを務める。

選手時代は、クラシックスペシャリストとしての実績を残した。

経歴

生後まもなく、一家がウクライナに移住。自転車競技のスタートは、モルドバ共和国にあったサイクリングスクール時代であった。

1989年、イタリアのアルファ・ルムと契約を結んでプロロード選手に転向。

1991年

  • ソ連選手権・個人ロードレースを優勝した。

ソ連邦崩壊後は、ウクライナ国籍を得たが、その後、モルドバ共和国籍を経て、生活の拠点としていたベルギーの国籍を取得した。

1994年

  • パリ〜ルーベ 優勝
  • GP西フランス・プルエー 優勝

1997年、パリ〜ツール 優勝

1999年

  • ミラノ〜サンレモ 優勝
  • UCI・ロードワールドカップ総合優勝を果たした。
  • 2000年、ロンド・ファン・フラーンデレン 優勝

2002年

  • デ・パンネ3日間で落車事故に巻き込まれ、その怪我の治りが悪いことや年齢的な面も原因でチームからの契約がシーズン途中にもかかわらず解除されることになり、同年5月に行われたツール・ド・ベルギー第3ステージを勝利した当日に選手を引退した(契約解除の事実は後日表面化した)。

その後政治家に転身。2006年8月、モルドバ共和国のスポーツ大臣に任命された。

2009年より、チーム・カチューシャのチームマネジャーに就任。現在、同チームのゼネラルマネジャー(GM)を務める。

エピソード

1993年には最強チームとして名高かったGB-MGチームに在籍するが、マリオ・チポリーニを中心とするイタリア勢とヨハン・ムセウを中心とするベルギー勢との軋轢に悩まされた。彼曰く「ベルギー選手のアシストをすればイタリア勢から文句を言われ、イタリア選のアシストに加われば逆のことになる」という状態だったという。この末に「モルドバはベルギーの植民地でもイタリアの植民地でもない」と非難のコメントを残し、自分をエース格として扱うロットチームへ移籍した。

外部リンク

  • アンドレイ・チミル - サイクリングアーカイヴス(英語)

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